オリンピックと広島・長崎平和祈念式典そしてお盆の祈り
今日(8/9)は、長崎に原爆が投下されて76年目の日です。長崎では「長崎平和祈念式典」開催されました。被爆から76年、未だに世界は核の脅威にさらされています。
昨日(8/8)は、コロナ禍で一年延期された東京オリンピックの最終日、閉会式が開催させました。大会期間中8/6の広島平和祈念式典に併せてオリンピック関係者に「黙禱」を広島県知事、広島市長が求めたと言われていますが、実現できませんでした。平和の祭典オリンピックの開催中に広島平和記念式典が開催されたのに、平和を求める「黙禱」というささやかな発信ができなかったことは残念です。オリンピックが唯一戦争被爆国である日本で開催され、その期間中に広島平和祈念式典が開催されるなどと言うことは、今後あるのかというようなことを考えると、残念と言うより悔しささえこみ上げてきます。
先日(8/8)民放の「バンキシャ」という番組をたまたま観ていたところ、被爆者の平均年齢は83,93歳で、このままでは直接伝えられなくなるという危機感から長崎で『交流証言者』を育成していこうという活動あることを知りました。この活動は、直接被爆体験を伝えている方が、若い方に引き継いでいくという内容です。番組では、中学1年生の時に被爆した丸山さん(83歳)の体験を坂本 薫さん(22歳)が語り継ぐという内容で、被爆した当時の場所を二人で訪れて、実際に「交流証言」を行っているところが池上 彰さんの取材で紹介されました。
平和の祭典オリンピックの開催中に広島平和祈念式典があり、オリンピックの閉会式の翌日が長崎平和祈念式典という巡り合わせに「平和」ということを改めて考えてみたいと思います。
令和3年8月9日の長崎平和祈念式典での田上富久市長の挨拶は、今の時期に確認しておくべき重要なことと思いますので全文を載せておきます。
今年、一人のカトリック修道士が亡くなりました。「アウシュビッツの聖者」と呼ばれたコルベ神父を生涯慕い続けた小崎登明さん。93歳でその生涯を閉じる直前まで被爆体験を語り続けた彼は、手記にこう書き残しました。
世界の各国が、こぞって、核兵器を完全に『廃絶』しなければ、地球に平和は来ない。
核兵器は、普通のバクダンでは無いのだ。放射能が持つ恐怖は、体験した者でなければ分からない。このバクダンで、沢山(たくさん)の人が、親が、子が、愛する人が殺されたのだ。
このバクダンを二度と、繰り返させないためには、『ダメだ、ダメだ』と言い続ける。核廃絶を叫び続ける。
原爆の地獄を生き延びた私たちは、核兵器の無い平和を確認してから、死にたい。
小崎さんが求め続けた「核兵器の無い平和」は、今なお実現してはいません。でも、その願いは一つの条約となって実を結びました。
人類が核兵器の惨禍を体験してから76年目の今年、私たちは、核兵器をめぐる新しい地平に立っています。今年1月、人類史上初めて「全面的に核兵器は違法」と明記した国際法、核兵器禁止条約が発効したのです。
この生まれたての条約を世界の共通ルールに育て、核兵器のない世界を実現していくためのプロセスがこれから始まります。来年開催予定の第1回締約国会議は、その出発点となります。
一方で、核兵器による危険性はますます高まっています。核不拡散条約(NPT)で核軍縮の義務を負っているはずの核保有国は、英国が核弾頭数の増加を公然と発表するなど、核兵器への依存を強めています。また、核兵器を高性能のものに置き換えたり、新しいタイプの核兵器を開発したりする競争も進めています。
この相反する二つの動きを、核兵器のない世界に続く一つの道にするためには、各国の指導者たちの核軍縮への意志と、対話による信頼醸成、そしてそれを後押しする市民社会の声が必要です。
日本政府と国会議員に訴えます。
核兵器による惨禍を最もよく知るわが国だからこそ、第1回締約国会議にオブザーバーとして参加し、核兵器禁止条約を育てるための道を探ってください。日本政府は、条約に記された核実験などの被害者への援助について、どの国よりも貢献できるはずです。そして、一日も早く核兵器禁止条約に署名し、批准することを求めます。
「戦争をしない」という日本国憲法の平和の理念を堅持するとともに、核兵器のない世界に向かう一つの道として、「核の傘」ではなく「非核の傘」となる北東アジア非核兵器地帯構想について検討を始めてください。
核保有国と核の傘の下にいる国々のリーダーに訴えます。
国を守るために核兵器は必要だとする「核抑止」の考え方のもとで、世界はむしろ危険性を増している、という現実を直視すべきです。次のNPT再検討会議で世界の核軍縮を実質的に進展させること、そのためにも、まず米露がさらなる核兵器削減へ踏み出すことを求めます。
地球に住むすべての皆さん。
私たちはコロナ禍によって、当たり前だと思っていた日常が世界規模で失われてしまうという体験をしました。そして、危機を乗り越えるためには、一人一人が当事者として考え、行動する必要があることを学びました。今、私たちはパンデミック収束後に元に戻るのではなく、元よりもいい未来を築くためにどうすればいいのか、という問いを共有しています。
核兵器についても同じです。私たち人類はこれからも、地球を汚染し、人類を破滅させる核兵器を持ち続ける未来を選ぶのでしょうか。脱炭素化やSDGsの動きと同じように、核兵器がもたらす危険についても一人一人が声をあげ、世界を変えるべき時がきているのではないでしょうか。
「長崎を最後の被爆地に」
この言葉を、長崎から世界中の皆さんに届けます。広島が「最初の被爆地」という事実によって永遠に歴史に記されるとすれば、長崎が「最後の被爆地」として歴史に刻まれ続けるかどうかは、私たちがつくっていく未来によって決まります。この言葉に込められているのは、「世界中の誰にも、二度と、同じ体験をさせない」という被爆者の変わらぬ決意であり、核兵器禁止条約に込められた明確な目標であり、私たち一人一人が持ち続けるべき希望なのです。
この言葉を世界の皆さんと共有し、今年から始まる被爆100年に向けた次の25年を、核兵器のない世界に向かう確かな道にしていきましょう。
長崎は、被爆者の声を直接聞ける最後の世代である若い皆さんとも力を合わせて、忘れてはならない76年前の事実を伝え続けます。
被爆者の平均年齢は83歳を超えています。日本政府には、被爆者援護のさらなる充実と、被爆体験者の救済を求めます。
東日本大震災から10年が経過しました。私たちは福島で起こったことを忘れません。今も続くさまざまな困難に立ち向かう福島の皆さんに心からのエールを送ります。
原子爆弾によって亡くなられた方々に哀悼の意をささげ、長崎は、広島をはじめ平和を希求するすべての人々とともに「平和の文化」を世界中に広め、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くしていくことを、ここに宣言します。
2021年(令和3年)8月9日
長崎市長 田上 富久
田上市長の平和記念式典の挨拶は、いつも心にしみます。私も真言僧としてこの世から争いがなくなり、人々が平和で文化的な生活を送ることできるように、お盆の祈りを捧げたいと存じます。